ハンセン病問題研究会

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ハンセン病にあらわれた近代医学思想を問う

佛教大学教授 村岡  潔
  聞き手 つむら あつこ


  かつて、ハンセン病は「うつる、治らない、遺伝する」と言われてきました。さらに国の患者絶滅・強制隔離政策のもと官民一体となった「不治」「恐ろし い伝染病」というキャンペーンが張られ、国民の間に間違った考えが定着し、無知・迷信の上、誤解や偏見・差別を生み、今もまだ根強く残り、払拭されていま せん。また、以前は厚生省と藤楓協会(厚生省所管の財団法人、現在のふれあい福祉協会の前身)により、そして最近では、厚生労働省発行のパンフレット「わ たしたちにできること〜ハンセン病を知り、差別や偏見をなくそう〜」(平成15年=2003年1月発行)でも「遺伝病ではありません」「感染力の極めて弱 い細菌による病気です」などと啓発されています。感染力は「弱い」といいながら国立療養所への隔離は、らい予防法が廃止された1996年まで続けられてき ました。
 啓発内容を問うことをせず無批判かつ真面目に勉強する人ほど、行政啓発の間違いに追随しているという現象がみられます。「正しい理解を」と言いながら間違いも生じさせているわけです。これについて、医学概論・医学哲学の研究者である村岡潔さんに尋ねてみました。

ハンセン病とは

●遺伝病ではありません。

●感染力の極めて弱い細菌による病気です。

●すぐれた治療薬により治ります。

●早期に治療すれば、身体に障害が残ることはありません。

●わが国には感染源になるものはほとんどありません。身体の変形は後遺症にすぎません。


    厚生労働省(平成15年1月発行)の啓発パンフレット
  「わたしたちにできること〜ハンセン病を知り、
差別や偏見をなくそう〜」

●遺伝病ではありません

●伝染力の極めて弱い病原菌による慢性の感染症です。

●乳幼児のときの感染以外はほとんど発病の危険性はありません。

●菌は治療に寄り数日で伝染性を失い、軽快した患者と接触しても感染することはありません。

●不治の病気ではなく、結核と同じように治癒する病気です。

●治癒したあとに残る変化は単なる後遺症にすぎません。

●早期発見と適切な治療が患者にとっても公衆衛生からも重要です。


『ハンセン病を正しく理解するために』
(財)藤楓協会『藤楓だより』より
平成11年(なお、11年度は1999年度)

 

啓発内容の問題  


 つむら  ハンセン病は、1873(明治6)年、ノルウェーのハンセン医師が、「らい菌」を発見したことから伝染病であると発表されました。しかし当初から、「伝染力は極度に小である」と国際的見解(註1)が出されていました。ところが日本では、「恐ろしい伝染病」とする法律(註2)をもとに隔離絶滅政策がすすめられてきました。
 ハンセン病は、かつては伝染病、今は感染症とされていますが、そもそも感染症とは何でしようか。また、感染症と伝染病の違いはどこにあるのですか。

 村岡  感染症とは、微生物(細菌・ウイルス・真菌・原虫など)がヒトまたは動物の体内に侵入して、臓器や組織あるいは細胞の中で 分裂増殖し、その結果として引き起こされる病気(疾病・疾患)のことです。また、感染とは、病原体が生体内に侵入、定着、増殖し、生体に何らかの病的変化 を与えることですが、感染は必ずしも発病を意味しません。この点は重要です。

 感染には、顕性(けんせい)感染と不顕性(ふけんせい)感染があります。発病する場合(自覚的症状、または他人がみて分かる他覚的所見を示す場 合)は顕性感染。一方、感染しても発病する以前や、身体が免疫力でウイルスや細菌に抵抗し発病することなく終わる場合を不顕性感染といいます。発病してい る人が1人いると周りには不顕性感染の人が10倍から100倍いると考えるのが普通です。感染しても発病しない場合が多いのです。伝染とは感染の古い言い 方です。いわゆる「感染症法」(註3)は、公衆衛生学的な見地から、あえて言えば、社会防衛の立場から作られた法律です。
 もっとも、ハンセン病の場合、人々の間に蔓延したり、大勢の命を奪ったりするような病気ではありませんから、20世紀の初頭からの隔離政策などの扱われ方は、当初から問題だったと思います。

 つむら  ところで、行政の啓発(囲み記事参照)の仕方はいかがでしょうか?

 村岡  病気の啓発をする場合、もちろん、知識と同時に人間の尊厳などについても一緒に説明をしないといけないわけです。ところが「感染 力は極めて弱い」という言い方でも、「人から人に感染する」というイメージをそれこそ市民に「感染させる」ことになり、逆に差別を正当化してしまう。感染 力の強弱の問題ではないのです。それに、今あえて、ハンセン病を感染症として強調する必要があるのだろうか。ハンセン病は、医学的には、らい菌による感染 症に過ぎない。何も知らない人に改めて、もう一度、ハンセン病を感染症として植えつけなければならないのかと疑問に思いますね。もはやハンセン病は感染症 学的にも公衆衛生学的にも問題でない。
 このように病気を病原体だけで説明するのは、近代医学に特有の思想です。病気は様々な要因で発病するの に、病気を起こす病原体だけを重視するのは狭い考え方です。そして、このような思想のもとでは、「菌がいる患者は、普通の人と違う」という烙印(スティグ マ)を捺すのに都合がいいわけです。
 病気を啓発するには、例えば、結核などでも、脅かすような解説をするよりも規則正しい生活をするとか、過労 な状態にならないようにとか、咳が出た場合にはどうしたらよいかなどのことがらが必要なのです。「どれくらい死ぬか」などは自分で調べる場合はともかく一 般の市民啓発では必要ないと思います。
 近代医学の言葉で、ハンセン病はこれこれだなどとと説明しておいて、差別しないようにしましょうなどとい うことは矛盾しています。医学は、個人的にはともかく、社会的には、健康者と患者の差異化を行うものですから。医学の言葉を使う限り、「みんな同じ人間な のだ」というメッセージは決して伝わらないのです。この背景にあるのは、医学が絶対的、そして、医学的な言葉だけが真実であるという考えですが、それは世 界をみる時の医者の見方なのであって、一般市民が従わなくてはいけないということは全くありません。

 つむら  ハンセン病は、国の隔離政策で特別な病気であるかのように宣伝され、位置づけられてきました。感染症(伝染病)というだ けでなく、昔は遺伝ともされてきたためか、最近までの啓発のパンフレットで真っ先に「遺伝病ではありません」と掲げられてますが、これは何でしようか。

 村岡  遺伝とは、医学的には、遺伝子を媒介として、形質と呼ばれる生物の体の形や色などの特徴が、親から子、子から孫へと、世代 を通じて伝わる現象を言います。遺伝病では、病気自体を、伝わる特徴のひとつとみなしてしまうのです。20世紀の前半まで、とくに優生学がそうでしたが、 体に表れた特徴のほとんどが遺伝によるものだと信じたのです。
 遺伝を「避けられない運命」という意味で使うのが一番の問題で、かつて、ハンセン病が「遺伝病」とされていたのも、そうした理由からです。そこから「業病」などの言葉、偏見が生まれてくるわけです。
 その後「遺伝病ではない」とされてきたのも、「らい菌の発見」など細菌学を中心にした近代医学の見方の変化や都合で、そうなっただけです。人々の間では、今も、感染症と遺伝病という見方が同居しているかもしれません。
 この啓発内容の「遺伝病ではありません」という説明は、「遺伝病ほど怖くはない」という、遺伝病の人を差別するようなメッセージも伝えてしまいます。

つむら  これについては、らい予防法が廃止された時の96年、多磨全生園で行われたシンポジウム(註4)の席上で、稀少難病者全国連合会の佐藤会長から「ハンセン病の方たちも、新しい人権運動の中で『自分たちは遺伝病ではないんだから差別は不当だ。人権を守られるべきだ』という表現だけはぜひ削除していただきたいとおもいます。」という要請がされています。

 村岡  遺伝も感染も本人の責任ではないのですからね。病気になるのは確率の問題なので、それを個人原理で「病気になったのはお前 の責任だ」などと、病気になった人を批判して、患者非難・犠牲者非難にもっていってはいけない。地球上では、それぞれが、いろんな病気になることは避けが たいのですが、それぞれが助け合うことで人類は共生的に成り立ってきたのです。つまり、共生とは、あるときは健康なAさんが病気のBさんを助けますが、立 場が逆になればBさんがAさんを手助けするということなのです。
 地球環境全体では、人間は、らい菌を含め様々な微生物と共存せざるを得ない状況 にあります。その中で多くの人が、らい菌に感染し、一部の人が発病する。日本では、新たにハンセン病にかかる人は外国人を含め10人程度になっています が。誰でもなりうる状況下で誰かが病気になったわけですから、その人たちに社会が生活保障をするのは当たり前。病気というのは、お互いの関係、社会相互の 複雑な関係の中で決まっていき、人間集団の中で初めて意味づけられてくる。ここでは個人よりも、集団という視点が必要なのです。
 人間の存在の仕 方は、いろいろあるにもかかわらず、見かけとか労働能力の有無だけで価値づけてしまう社会が問題です。それに、医学の基本は、「正常」と「異常」を分ける 分類学であって、医学は、個人を苦痛から解放してくれる面もありますが、集団全体を「正常」な姿、平均的な姿に戻さなければならないと考え方にも縛られて います。

 つむら  ハンセン病はかつて「治らない」と言われ、日本では戦後まもなく特効薬「プロミン」が出て、ようやく「治る」病気になったと言われています。でも、それ以前から、自然治癒をしていた人も多くいましたし、大風子油という治療薬もありましたね。

 村岡  20世紀前半の化学療法が効果を発揮した時代があったことは歴史的事実としてあり、そういう過去の時代の貴重な経験を経て 今日のわれわれがあるわけです。では、プロミンが出る前は、暗黒時代だったのかというと、そうではない。それぞれの時代でいろいろな治療法が人びとを癒す のに役立ってきたはずですよ。
 感染症を治療する近代医学の薬は、サルファ剤の導入で始まり、その後の抗生物質の発見・発明に続きます。プロミン の登場は結核におけるストレプトマイシンと同じ時期にあたります。結核の場合もストレプトマイシンが出てきて「完治可能」となりましたが、歴史的にみると 特効薬であるストレプトマイシンが出現する前に結核の死亡者は既に自然に減少しています。
 英国では、結核は1850年から1950年の100年 間、グラフにすると死亡者はだんだんと右肩さがりで減少しています。それは、衛生状態や栄養状態、食生活の改善など、生活の近代化によるもので、19世紀 後半から20世紀半ばまでに多くの感染症が激減している。だから抗生物質信奉者が言うようにストレプトマイシンによって結核が突然、激減したわけではない のです。

 つむら  ハンセン病もその代表例です。ハンセン病専門医も、患者の減少は、社会的・経済的要因、つまり、栄養・衛生状態の向上で病気が減少し、隔離とは関係がなかったと報告しています。水道と石けんの普及で病気が減少したという医者もいます。

 村岡  はい、日本のハンセン病患者も1900年からの90年間に、徐々に減少しています。プロミンが出たから急に減少したわけではないのです。
 日本では明治になり、感染症対策として、国家が主体になってコレラ、性病、ハンセン病等の患者を発見して、病院や療養所に隔離収容していった歴史があります。特に日本のハンセン病の場合、人種隔離と同じで社会的隔離(セグリゲーション、註5)が行われたのです。

 つむら  ヨーロッパの場合、中世の時代は隔離をしていたらしいですが、近代では、ハンセン病患者は家庭内で家族と部屋を別にして 起居したり、市街地にある病院で短期の治療入院をしたりするという状況でした。ところが、日本の近現代においては、離島や山間僻地に療養所を作り隔離絶滅 政策がとられてきました。

 村岡  ハンセン病政策を見れば、日本の近現代の実態も見えてきますね。それに、「感染するから隔離しなくてはならない、感染しな いから隔離しなくていい」というのは医学の論理。つまり、公衆衛生学などの集団を対象とした論理であって、個人の人権というより集団全体の利益を最優先す る立場です。個々の患者のことを考えるより「医学の使命は病気を撲滅することで、そのためには隔離した方がいい」となったのかもしれないが、ハンセン病の 場合、隔離した本当の理由がなんだったのか。感染力がないと言いながら、隔離したというのは100歩譲って「社会防衛」という点からしても不可解です。お そらくハンセン病を「国辱」と考えて「世間」や外国人から隠したというのが実情でしょう。そしてその正当化のために「恐ろしい病気」に仕立て上げたので しょう。また、「療養所」いう名の収容所を作って、患者を「終身刑の囚人」のように封じ込め、中で命つき果てるのを待つ作戦だったように思います。

 つむら  ハンセン病は近代日本の中で最も時代の犠牲になった病気だと言えます。それは戦後も続いていますし、ある意味では強化さ れてもいます。戦前は軍国主義の中で民族浄化、祖国浄化が叫ばれ、優生学も勃興しましたが、戦後は、らい予防法と優生保護法の二つの法律で優生政策が推進 されています。戦前は違法状態の中で男性への断種がされ、戦後は、優生保護法でハンセン病を理由に優生手術や中絶を行えるよう「合法」にして、特に女性へ の優生手術を行っています。

 村岡  ハンセン病は怖いとして、患者という、見せしめというかスケープゴート(生贄、犠牲者)をつくり出すことで、「無らい県運 動」のように健康な人の心もコントロールできるようにしてきたわけです。病気と健康を分けることで、病気を押さえるためなら囲われても仕方ないと思い込ま せてしまう。そういう機能が医療にはあるのです。深層では、ハンセン病患者が世の中の「害」になるからという理由ではなく、スケープゴートとして利用する ことで世の中の「健康な人々」をも支配するという医療思想的目的から隔離したとも言えるでしょう。近代では、医療というのは国家統制の重要な手段なので す。ハンセン病政策などは、まさにそのことを示すわかりやすい事例だと思いますよ。


 

註1 1890(明治23)年、インドらい委員会は、遺伝性でなく、自然に消滅する傾向にある。伝染性については、伝達程度は極度に小である、と報告している。1897(明治30)年、第1回国際らい会議でも、伝染性はあまり強くなく一様に隔離することは誤りであるとした。

註2 90 年にわたる強制隔離政策の基礎になった法律は、1907(明治40)年に制定された「癩予防ニ関スル件」に始まる。1931( 昭和 6)年には療養所に全患者を隔離する「癩予防法」が制定される。戦後、隔離政策を見直す機会もあり、入所者も要求したが、らい学会の専門家の強硬意見によ り1953(昭和28)年に「らい予防法」が制定され、1996年4月1日に廃止されるまで続いた。

註3 「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(1998年公布、1999年施行)

註4 1996年6月23日、多磨全生園で行われたシンポジウム「これからをどう生きるかー「らい予防法」廃止にこたえて」主催・高松宮記念ハンセン病資料館。同シンポジウム全記録は、皓星社ブックレットCとして発刊されている。

註5 セグリゲーションSegregation(英)は、分離、隔離、差別待遇の意。人種・宗教・性別などで人々を分離/隔離し、そして差別待遇をすること。

 

プロフィール

村岡 潔
 佛教大学社会福祉学部教授(医学概論、医療思想史)
  救急医療、脳外科の臨床経験後、阪大医学部大学院で集団社会医学概論を専攻、中川米造教授(当時)のもとで医学概論・医学哲学の研究に従事。1998年よ り佛教大学教員。大阪大学医学部非常勤講師。共著書『現代医療の社会学』(世界思想社)、『医療神話の社会学』(同)、『文化現象としての医療』(メディ カ出版)、『不妊と男性』(青弓社)など。

つむらあつこ
 フリーライター
「検証ハンセン病隔離の歴史―未来への証言」を月刊『ヒューマンライツ』に16回(1998年7月〜2000年3月)連載。次いで第2部として同誌に25回(2003年4月 〜 2007年3月)連載する。共著書『生と死の先端医療―いのちが破壊される時代』(解放出版社)。月刊『むすぶ』での「特集 ハンセン病差別と国賠訴訟」の編集責任者。

 

この原稿は、月刊『むすぶ』(特集 ハンセン病差別と国賠訴訟)(No 355 2000年7月刊行)掲載記事を改稿したものである。

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