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 「風 紋のあかり〜鳥取発・ハンセン病の歴史をたどって〜」に関する意見書

2002年8月24日

鳥取県知事・片山善博殿
鳥取県ハンセン病資料集作成委員会委員長・徳永進殿


ハンセン病問題研究会
  代表世話人 村岡潔
連絡先:****************


「風紋のあかり〜鳥取発・ハンセン病の歴史をたどって〜」に関する意見書

 

  私たちは、ハンセン病問題について国や地方自治体による啓発、歴史検証のあり方などに関心を持ち検討をしているグループです。
  去る6月、貴県(鳥取県ハンセン病資集作成委員会)が発行した県民への啓発冊子『風紋のあかり』について新聞報道では、「ハンセン病患者を強制隔離した 『無癩県運動』など、県のハンセン病政策の歴史と、その反省などを記録したハンセン病資料集」(朝日)、また、「ハンセン病患者に対する国の強制隔離政策 で都道府県が進めた『無らい県運動』をを検証する資料集」(毎日)として、小・中学校や高校などでの教材に活用され、市町村などに配られると紹介されてい る。冊子の巻頭で片山知事は、「今後、二度と同じ過ちを繰り返さないために、また、ハンセン病の正しい知識の普及啓発により差別や偏見が解消されるよう、 一層努めてまいりたい」と記している。
  しかし、冊子の内容には、誤った記述や差別偏見を助長する記述などがある上、隔離(=排除)を肯定する時代錯誤の提案もされており、非常に問題であると考 えるので意見書を提出する。他県に先駆け発行された貴県の冊子は、社会的影響も大きく、ぜひ、私共のの意見をご検討の上、内容を改善・改訂され、再発行さ れることを強く希望する。


1)誤った記述について
   第5章の「差別偏見をなくすために、正しい知識と認識を」の冒頭(28頁)で「遺伝病とされたハンセン病も1960(昭和35)年以降40数年本土には新 発患者がないことで、遺伝病でないことが実証されました」と説明されているが、これは全く間違った記述である。
  一方、同冊子第4章「医学的知見について」25頁で「昭和30年には新患者は412名、昭和35年256名、昭和40年125名と順次現象し、平成2年か ら平成8年までは20名以下の発見数となっている。」と記述され、同じ冊子において矛盾した説明がなされている。
  日本での患者数は明治以降、栄養・衛生状態の向上などにより隔離政策と関係なく減少しているが、徳永氏の著書『隔離 故郷を追われたハンセン病者たち』 (岩波書店 91年発行)には「平成二年の新届出患者数は十二人で、うち四人は沖縄県だ(以上、1991年『国民衛生の動向』より)」(299頁)とあ り、また『ハンセン病医学−基礎と臨床』(東海大学出版会、97年)には、「日本人のハンセン病新患者は年間10人以下になり、終焉をむかえた」(319 頁)とあり、1960年以降も新しい患者は出ており、近年では本土・沖縄を合わせ10人前後、または数人の新しい患者が出ていることが報告されている。ら い予防法廃止後の1997年、鹿児島県に在住していた高齢の女性が鹿児島大学で受診し、ハンセン病と判明して投薬治療を受け、回復していたにもかかわら ず、ハンセン病に対する誤解、認識不足などから家族がパニック状態になり、また、大学病院側も適切な対応が出来なかったためか、女性患者が首吊り自殺(縊 死)するという不幸な事件が起こっている。
   問題は、新しくハンセン病を発病した場合、また、療養所に入所せず在宅している場合、さらに、療養所から社会復帰した場合などで、安心して在宅治療を受 ける医療体制が地元地域の病院で保証されているかどうかということである。日本では隔離政策によりハンセン病を一般医療から排除し、療養所でしか治療が受 けられない医療体制が、らい予防法とハンセン病政策により作られてきた。このような中で「1960年以降、新しい患者はいない」とすることは、誤記述だけ でなく、貴県のハンセン病医療への取り組み姿勢が問われ、また、県民のハンセン病医療を受ける権利を奪うものである。
  さらに、この記述は、 「ハンセン病が遺伝病でないことが1960年移行、実証された」かのようになっている。ハンセン病が遺伝病でないことは、1873(明治6)年、ハンセン 医師がらい菌を発見以降、近代医学において認識されており、この誤記は訂正されなければならない。


2)原文が削除・変更されている記述について

  第3章「ハンセン病と鳥取県との関わり  1 無らい県運動についての所感  強制隔離された入所者の声」が削除・変更されている。ちなみに、原文と照らし合わせると、「昭和12年、(削除)私が24歳のとき、鳥取県が強制収容する前の年です。(削除)県の衛生課(→担当課に変更)や警察、それに役場の民生委員が「療養所に行きてもらわにゃ困る、療養所に行きてもらわにゃ困る」って言ってくれてきました。親は「子どもだからあんな所へやっちゃあかわいそうだ、子どもだから」って言ってくれていましたが、もうそのとき、私は24歳でした。そ のときは、私さえ犠牲になれば家族に迷惑をかけんですむと思い、島に行く決心はできていましたね。私と県の衛生課(→担当課に変更)の人とふたりで、S駅 へ行きました。私の病気は、左手が萎えたようになっているほかはどうもありませんでした。だから歩っていても、左手はポケットに入れていましたから、全く 目立たなかったと思います。米子駅で二人の患者といっしょになって、(削除→Y駅からに変更)伯備線で岡山に行きました。岡山では窓のない後開きの自動車に患者だけ三人(削除)が乗せられ、後ろで錠が下ろされました。」となっている。原文は、ゆみる出版82年第1刷、89年第5刷、21〜22頁、また、岩波書店91年第1刷、20頁とも同じである。
これは、冊子8頁の「複数の患者が同じ列車で収容されることは家族の場合以外にはなかった」とする結論に合わせるための操作ではないか。また、貴県における患者を隔離収容した歴史を改ざんし、隠蔽を行うものではないか。

 

3)差別・偏見を助長する記述について
  第6章のハンセン病に関する法律  2「癩予防ニ関する件」の一部改正 大正5年法第21号(33頁)で、「改正の内容」について「法律第21号は、公立 ハンセン病療養所の秩序の維持と犯罪ハンセン病患者の懲戒を目的とした法律改正で、療養所長に裁判を行わないで患者を処罰する懲戒検束権が付与された。」 と『らい予防法廃止の歴史』を引用して説明されている。また、「制定の背景」でも「犯罪らい患者」の言葉がそのまま引用されており、これは、ハンセン病患 者を「犯罪者」であったかのような印象を与え、ハンセン病及びハンセン病者への差別・偏見を助長、再生産するものである。「患者の人権を無視したもので あった」とする説明には相反する表現であり、訂正した記述がなされるべきである。
  以上、代表的な問題点をあげたが、資料集冊子は、ハンセン病が奈良・平安時代より「悪疾」な「流行伝染病」だったためとして隔離肯定論(=排除肯定論)を基調にしており問題である。次に詳しく述べてみる。

A)第2章「ハンセン病発生の起源と患者隔離−奈良・平安時代−」について(3頁)
  ハンセン病を当時の「悪疾」「白癩」と全く同等のものとして扱うことが古病理学(当時の遺物や骨などの物的証拠に基づく病理学)からは断定されていないと 思われるが、それを歴史書(『日本らい史』など)の記載のみから断定をすることには疑問がある。
  また「伝染」とは近代医学によって成立した(作られた)用語であり、当時の歴史書に記載されていた言葉(原語)とは異なると思われる。しかし、百歩譲って 「伝染」という言葉が使われていたとしても、その意味は、何らかの菌(病原体)が伝播するという事を指示しているはずがない。病原体という思想(考え方) は19世紀後半の細菌学の成立によって初めて作られた言葉で、かつてはそういう「悪い空気」によって病気がうつると考えられていたのであり、こうした状況 に近いと考えるべきである。したがって、「当時の日本人が、ハンセン病が伝染病であることを経験に知っていたことを物語る」という記述は、今日的な独断と 先入観によるものであるから削除すべきであろう。
  また、この文から、その次の文節「当時かなり国内に流行していたのではないか」と推論しているが、経験的に知っていることから、その事象が多数あることは 理論上も導き出せない。例えば、狂犬病は犬に噛まれてなるということは今日多くの人が知っているが、それは狂犬病が流行したことを意味しない。したがっ て、この推論は誤謬であると思う。
  ちなみに、「流行」とは常時でないことを意味するが、そうした記載が実際に歴史書に書いてあるのかどうか?流行があったことを証明するには、まず、数字上 の記載があり、それが、他の季節より多いということ、他の場所より多いということ、および、他の病気(例えば、消化器系の疾患など)の頻度に比べて多いこ とを示していなければならないはずだが、こうした条件を満たした記載があるとは思えない。この点からも偏見による記述であり、削除すべきである。

B)「『X病の隔離』の時に考えておくべきこと」について(30頁−32頁)
  この一文は、本当にこれまでの問題ある医学界、および国や都道府県のハンセン病政策を根本的に反省した文章とは到底考えられない問題の多い提言でり、削除すべきものと思われる。以下にその理由を記す。

 
1)総論:「隔離」という方針自体が時代錯誤である
   「新たな感染症である『X病』が発生し、感染予防のために隔離をしなければならないという[ハンセン病と]類似の事項が発生したとき」とあるが、この文 から患者離れした感覚がみられる。言うまでもなく「感染予防」は「X病患者」ではなく、それ以外の多数の人々を「守るため」であり、すなわち「社会防衛」 の思想を意味しているからである。
  しかも、1999年4月より発行されている「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(い わゆる「新感染症法」)でも、ハンセン病に対してなされたような意味の(人里離れた場所への)「隔離」は想定していない。患者が仮に「収容される」といっ ても、基本的に病院施設への入院なのであり、「隔離」ではないのである。
  まず「隔離」を要する「X病」とは、具体的にどのような性質をもった 病気なのかも不明である。たとえば、急性の経過をたどるものも(例えば、1類感染症であるエボラ出血熱・クリミア・コンゴ出血熱・ペスト・マールブルク 病・ラッサ熱は、感染力、罹患した場合の重篤性から判断して、危険性が極めて高い感染症とされているが)、原則として患者の入院や消毒等の対物措置がとら れるだけである。これは「無X病運動」などとは関係しない。
  また、こうしたカテゴリーに入らない新感染症(政令で症状等の要件指定をした後に 1類感染症と同等の扱いをする感染症、人から人へ感染すると認められる疾病であって、既知の感染症と症状等が明らかに異なり、その感染力および罹患した場 合の重篤性から判断して、危険性が極めて高い感染症)だとしても1類感染症に準じた対応を行うことになる。
  一方、関係があるとすれば、「X 病」がHIV感染症(4類感染症:後天性免疫不全症候群)のような慢性の経過をたどる場合のほうであろうが、これとて外来通院ないしは入院とはなっても、 原理的に「隔離」は不要である。したがって、「新感染症」では、ハンセン病患者がこうむったような「隔離」は想定されていないのである。
  さら に、感染症という以上、発症したものだけが病原体を持っているわけではない。一般に、患者(発病者)が一人ひれば、周囲には、その10倍から100倍の単 位で感染している「健常者」がいると考えられているのである。しかし、病原体を持った「健常者」と病原体を持たない「健常者」を見分けることは一般には難 しい(血液検査などで後で抗体が見つかったりして判明することはあるが、リアルタイムでは難しい。なぜなら、そういう人は不調を感じないのでそのときすぐ には病院へ行かないから)。したがって、患者だけを(しかも、病院に行って「X病」と診断された患者)だけを隔離収容することに公衆衛生上の意味がどれだ けあるか、はなはだ疑問である。
  実は、ハンセン病患者の隔離でもそういう事態であったといえるので、それが化学療法の確立以前であったとしても、「隔離」には、医学的公衆衛生学的意味は極めて小さく、むしろ社会防衛的な排除と隠蔽の役割を社会的に果たしたことの意味が大と考えられるのである。

 2)各論:各項目にそって
#2
 「医学会の公式の意見を求める」 ⇒ ハンセン病の場合、それが失敗だったのではないか!
#4 「どうしても隔離が必要とされたとき」 ⇒ 1)の総論で述べたように、「隔離」という思想自体が問題。そこに患者の人権が保障されるわけがない。
#5 「公衆衛生上急を要し、市民を守るために・・・」 ⇒ 1)の総論で述べたように、今日では(新感染症法では)急性疾患でも入院と消毒程度であるし、患者と健康な市民という線引き自体が無意味。
#6 「隔離されたあと」 ⇒ 何をかいわんやである。「収容先での人権は守られる」かではなくて、「隔離収容」しないことが人権を守ることなのである。(無論、患者のために入院はありうるが)。
#7 「開放されている隔離の場」 ⇒ これは形容矛盾ではないか?
#9 「患者たちが納得しているか、<悲しい顔>になっていないか・・・」 ⇒ 患者が納得したり、悲しい顔になっていないことは、基本的に考えられない。感染症以外の病気で、単純に入院する場合でも、患者がうれしいわけがない。
#10 「患 者を隔離以前の場に戻すことを義務づける」 ⇒ こんなことを保証できるなら、誰も「隔離」を問題視しないだろう。ハンセン病で「隔離」されるという事が 患者にとってどのようなレッテルを貼ったかということを少しでも反省していたら、こんな能天気はなれないだろう。単に、戻せば元通りになるという問題では ないのである。
#11 「隔離とは、迷惑な感染患者を排除することではない」 ⇒ それをいうのなら、冊子読者の誤解がないように「感染患者を迷惑扱いすることではない」と言うべきだろう。しかし、そう言い直しても、この文章は、偽である。隔離とは排除することだからである。
#11 「社 会を守るため、・・・。社会を温存させるため、感染症を発症した人がそのボランティア精神で隔離を選択してくださるということだろう。」 ⇒ ここでいう 社会とは何なのか?患者を含めの社会ではないのか?患者を排除して成り立つような社会はかつての日本やナチス・ドイツが夢想したような病んだ社会に他なら ない。この徳永氏の提言全体は、「隔離」という社会的防衛論を温存したまま、ハンセン病に対してなされてきた事態を多少、患者の人権を認めるかのように書 き換えただけに過ぎない。有史以来、ハンセン病患者が、国や社会を滅ぼしてきたことが一度でもあっただろうか。この期に及んでまだボランティアなどという あまい言葉で、「新X病」患者に無意味な犠牲を強いるのか、と問いたい。
#11 「…、これを国民、県民が全 く忘れてきた…ことが、このハンセン病問題ではないか」 ⇒ これもおかしい。国民総懺悔で済ませてはならない。誰が、ハンセン病を「怖い病気」と宣伝し て「隔離」を正当化してきたのか、その責任(の所在、国民や県民をそうやってコントロールして来た医学界や行政)が明記されていない。

 

 

まとめ
   このように将来「X病」という新感染症が出現し、それが「隔離」を要するものであるというよな前提を、「無癩県運動」の反省であるかのように述べる提言 は、「隔離」せずに済んだはずのハンセン病患者を隔離・差別したということの問題性・犯罪性を(執筆者の意図のいかんに関わらず)隠蔽する働きをするので はないだろうか。
  この冊子は、貴県が行なった歴史の事実、「無癩県運動」の事実関係が明らかにされておらず、さらにハンセン病の隔離政策が、 国民の間にすさまじき彼我の線引きをして、今日まで続く差別概念を構築ないし助長してきたことにも言及しておらず問題がある。以上のことを検討されるよう 提案する。



 鳥取県の回答


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